子供達と昔の遊び

 『おじいちゃんやおばあちゃんが昔子供の頃遊んでいた遊びを教えて欲しい。』と、地元の小学校から要請がありました。校長先生のお話では、『近頃の子供達は、液晶画面ばかり見ていて、友達と一緒に遊ぶ機会が少ないので、一緒に遊ぶ楽しみを教えてやって欲しい。』という狙いだそうです。そこで地元老人会の役員をしている私達が一年生の子供たちと、紙ヒコーキ、駒廻し、あやとり、羽根つき等に分かれて、それぞれの遊びを教えながら一緒に遊びました。私は「けん玉」の担当になりました。ところがこの「ケン玉」は、子供たちの方が良く知っており、私より上手でした。私は子供の頃、「ケン玉」で遊んだことが無かったので、子供達に教わる始末。『おじいちゃん、持つときはお箸をつかむように持つんだよ。それから、このお椀をお皿と思って、このお皿に(ゆで卵)を乗せるような気持ちでやるんだよっ。うまく乗せるのには、ひざの使い方がコツだよ。』・・・って。教えるどころか、こちらが教わりながら一緒に楽しいひと時を過ごしました。近頃では幼稚園で「ケン玉」遊びをするんだそうです。

木材でカーリングプレー

木〜輪グ(キーリングと呼びます)って・・・。そう、カーリングがすっかり有名になりました。
オリンピックの『そ だねっ ♬♬ 』・・・って。

近年の林業は材木を製材して建築素材に使うだけの時代ではありませんね。
『森の京都』事業の一環として、NPO法人里山ねっと・あやべ」では、さまざまな"ふれあいの森林づくり"に取り組んでいます。
材木をつかった「木〜輪グ」もその1つです。

カーリングの投擲は重さ20kgの花崗岩で出来たストーンですが、この「木〜輪グ」は間伐材を利用して作られました。
氷のリンクでなくても、平らな床(体育館など)であればプレーできます。

写真のように取手を握って投げればローラーが付いているので、目標に向かって、だれでもスムースに投げることが出来ます。
グループ活動に如何ですか?  結構、カーリングをやってみたいという人がいますね。
工具一式の貸し出し利用料は無料です。

他の利用者と日程が重ならなければ・・・。
そぅそぅ、箒で掃くというプレーはありませんが・・・・。


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下の写真のような構造になっています。
 意外にスムーズに滑るように進みます。

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冬期は三椏の埴林

三椏(みつまた)を埴林しました。私の地元の生産森林組合事業として実施したものです。最近ゲリラ豪雨が多発し、私の地元も例外ではなく、山の麓の地域では、大雨や山崩れで被害が出ています。
手入れのされていない森林では、大雨に伴ない一気水と土砂が下流に流れ出て、被害が出ています。
そこで一気水が出ないように、昨年から、木の生えていない森林に、埴林を始めました。
三椏は生長が早くしかも"鹿が食べない"ので、安心して植えられます。地元の山林の斜面に500本の埴林をしました。

  三椏は「お札」の原料になる貴重な樹木です。日本にはこの木が少なく、海外から輸入しているのが現状です。主にヒマラヤ高地のネパールから輸入していましたが、近年ネパールの大地震でその輸入も出来なくなっています。
三椏が群生して生えているのは、岡山県(真庭市)や徳島県(四国山脈)の一部に限られており、非常に貴重な木なのです。
左の写真は、今年12月に植えたものです。

私たちの森林組合では、昨年も300本の三椏を植林しました。
右の写真のように1年で(植えた時30cm程の苗が)1M近くに成長しました。
大変に成長が早い木で、数年して群生すれば、保水効果で、一気水が少しでも解消すればいいな、と思っています。
今後も埴林を続ける計画です。


丹波大文字


京都の大文字と同時期に、丹波福知山の姫髪山(400㍍)にも、丹波大文字の送り火がともされました。

丹波大文字保存会会長さんの話しでは、昨年秋の豪雨のため火床が崩壊し、燃やす薪が組めなくなったそうです。
さらに現場は、人が立って作業が出来ないような急な坂だそうです。もちろん建設機械も入らない場所なので、手作業で改修工事が進めて来られました。それまでの時期、崩れた火床が、さらに崩れないようにブルーシートが掛けられていました。、
この日、小雨の降る中で、薪の焚くき上げ作業も大変ご苦労だったと思います。

点火した大の字の、右下裾の部分が崩落した火床になります。改修の甲斐があって綺麗な姿で、"大"の字が雨の夜空に浮かび上がりました。


福知山の夏の風物詩をこれからも継続していくには、影のご苦労が大変だと思います。
保存会の皆さん、本当にご苦労さんでした。





翌日、快晴に恵まれた姫髪山の火床です。


zozoマリン球場でロッテ対西武戦を観戦


フィールド・テラスでビール・お酒の飲み放題(しかも無料)をしながら、野球観戦をしました。
さすが球場全体が見わたせるので、素晴らしい雰囲気です。



クーラーのきいたテラス(左の写真)なので快適そのもの、試合の歓声を聞きたければドァを開けて隣の部屋へ移ると風に触れられるし、応援の熱気も伝わってきます。









           







           



                           試合はロッテが負けたけども、(写真右の)
                                      試合後のトークショーにも 参加しまし
                                      た。選手は左から三木内野手、益田投手、
                                      江村捕手の3選手です。

                                 

下山事件の現場は・・

下山総裁は、昭和24年7月6日の未明轢断死体でこの現場(国鉄常磐線)で発見された。

今から70年前の1949年7月この地(左側のJR常磐線の線路上)で、初代国鉄総裁であった下山定則氏が列車の轢断死体で発見された。当時は雑草の生い茂る土手であったが、今では高架されて現場へ行くことは出来ない。
当時の記録を見ると、この公園あたりから土手の一帯を警察官や捜査関係者が行き来していたものと思われる。


 ちょうどこのガードの上あたりが死体が散乱していた現場である。



このガード下に慰霊碑があった。右の写真の茶色の名盤である。




 この事件は”他殺””自殺”の両面から捜査が続けられたが、事件なのか事故なのか、未だその真相は未解決である・・・・・が、”自殺説”の有力状況証拠と言われた場所がある。当時この現場近くの連れ込み旅館(末広旅館)に、下山総裁ソックリの人が、轢断される直前、滞在していたという証言が寄せられていた。
その末広旅館も現在では、左の写真のように不動産業のビルに変わっていた。








現場近くの東武線(小菅駅)ホームから遠くを眺めていると、東京拘置所(左の写真)が見える。それにしても立派なマンションのような建物である。拘置所手前の赤茶けた建物は、東京拘置所の職員宿舎だそうだ。

防災工事が完成しました。

本の森林は、どこもあまり手入れがなされていないので、私の地元の森林でも、左の写真のように昼なお暗く、草や雑木が生えていません。このため、大雨が降ると森林に「保水効果」が乏しくなります。








このような山林だと、大雨が降ると右の様に一気水が下流に流れ出ます。


















下の写真のように、隣接する駐車場に土砂が流れ出て来ました。















そこで・・地元の森林組合で左のような土砂流失防止工事を実施しました。
左の写真のような工法を「蒲団駕籠」といいます。
谷川に石を"針金"でくくり付けて土砂が流れ出るのを防ぎます。

ところが・・・。7月の台風後の降り続く豪雨で・・・・。