下山事件の現場は・・

下山総裁は、昭和24年7月6日の未明轢断死体でこの現場(国鉄常磐線)で発見された。

今から70年前の1949年7月この地(左側のJR常磐線の線路上)で、初代国鉄総裁であった下山定則氏が列車の轢断死体で発見された。当時は雑草の生い茂る土手であったが、今では高架されて現場へ行くことは出来ない。
当時の記録を見ると、この公園あたりから土手の一帯を警察官や捜査関係者が行き来していたものと思われる。


 ちょうどこのガードの上あたりが死体が散乱していた現場である。



このガード下に慰霊碑があった。右の写真の茶色の名盤である。




 この事件は”他殺””自殺”の両面から捜査が続けられたが、事件なのか事故なのか、未だその真相は未解決である・・・・・が、”自殺説”の有力状況証拠と言われた場所がある。当時この現場近くの連れ込み旅館(末広旅館)に、下山総裁ソックリの人が、轢断される直前、滞在していたという証言が寄せられていた。
その末広旅館も現在では、左の写真のように不動産業のビルに変わっていた。








現場近くの東武線(小菅駅)ホームから遠くを眺めていると、東京拘置所(左の写真)が見える。それにしても立派なマンションのような建物である。拘置所手前の赤茶けた建物は、東京拘置所の職員宿舎だそうだ。