牟田口司令官

インパール作戦の総指揮牟者、牟田口司令官の神がかり的な言動とは・・

「皇祖皇宗の神霊我れにありだ。断じて行えば鬼神もこれを避くという。皇軍のもつ精神力と肉弾攻撃による白兵戦の威力をもってすれば、英軍は退却あるのみ、神国日本の行動は神が必ず助けてくださるのだ。
今までの英軍の姿を見よ。日本軍の姿を見るだけで退却だ。38式歩兵銃を、5・6発空に向けて撃てば、あわてて逃げ去る。その陣地にある武器弾薬、食糧をもって、敵を撃破すればよいのだ。大げさな準備がなくては戦争ができんようでどうするのか。日本軍はいかなる困苦欠乏にもたえられるのだ。」

このような言葉をつねづね発言し、作戦会議の席でさえ同様な発言をしていたという。
この司令官に命令されて戦い、一命を落とした兵士達はどんなに無念であったことか。左写真の遥か彼方に薄っすらと見えるのが「アラカン山脈」の山並みである。この2,000m級の山を越えて日本軍は、この地「コヒマ」へと進軍し、この地で大勢が戦死したのである。

下の写真は現在のコヒマ市街、人口8万の標高1,500mの高原都市である。




下の写真が、激戦地のコヒマ市街地である。右の道路(黒服の警官が立っている。)を南へ90km行くとインパールヘ、左(赤い看板の見える店の前を左へ)はディマプール方面(私は、ここから車で3時間かけて、ここコヒマまでたどり着ついた。)である。