インパール作戦(ビシェンプールの史跡)

日本陸軍はこのインパール南のビシェンプールまで進軍し、(下の写真に見える)史跡の裏山でイギリス軍と戦ったそうだ。日本軍が其処を突破すれば、インパールまではわずか数キロの地点である。その時の戦況の模様を現地ロトパチン村の老人が語ってくれた。
(もちろん通訳を通じて・・)
当時、インドはイギリスの植民地であった。なんとかイギリスの支配からのがれたい・・。その時日本軍がイギリスをやっつけに攻撃を仕掛けて来た。『インドの住民は心の中で日本軍を応援した。」』と、その老人は話してくれた。だが、日本軍は敗退、その老人の親が日本軍人をかくまったのが老人の家の納屋(左上の写真)であった。この地域(ロトパチン村)の住民は、戦死した日本軍人の供養をしようと此処に慰霊碑(左の写真)を建て、いまも大切に守り続けている。(下の写真は、慰霊碑の壁に貼り付けられている銘板)
”英霊よ、この地で安らかにお眠り下さい”
私は、この慰霊碑に線香とローソクに火を灯し・・・・・しばし合掌・・・。


新聞の写真は、労働厚生省が主催して遺児が現地を慰問した時の報道である。